| <部首の解説> | ||
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一本の横線で、ひとつを示す、指事文字 全部をひとつにまとめる、いっぱいにつめるなどの意味がある。 まず、数字としての一は、絶対神としての意味を持つ。 訓読みでは「ひと」で、おくりがなをつけて「ひとつ」とよむ。 また、ひとつは、一致という意味ともなり、完全な一致は、天父・御子・聖霊で構成される神会に見いだせる。よって、絶対神とは時折、我々が接する御子イエス・キリストのことであったり、聖霊のことであったりする。 「ひとつになる」「ひとつにする」という動詞的な意味もあり、我々は御子の仰せに従うことによって、神と「ひとつ」になることができる。これは、御子の贖罪による。 一は「はじめ」であり、また、すべてという意味をもつことから、「おわり」も含むことで、「はじめでおわり」を指し示す。それは、ヤハウエすなわち、御子イエス・キリストを指し示す。 ひたすらという意味もあって「一心に」などと用いられる。主イエスは天父の御心を行うことにすべてを捧げた、そして、神となられた。我々に対する模範でもあった。我々は、同じようにイエスの仰せに従い贖罪によって救われ、神とひとつになる。 |
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<字の解説> |
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部首の解説にあるため省略 | ||
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象形であり、ふっくらとふくれた花のがくをあらわしたもの。つぼみを指し、豊かな可能性を指していた。 そのように、もともとは豊かな意味でつくられたものが、「ふ」という音を利用して否定的な意味に用いられるようになった。 「一+人+ 豊かで、すばらしい字のはずなのに、否定的に用いるのはなぜか? 豊かな実りの可能性をつぼみに秘めているのは、人も同じで、人は神の形につくられ、その素質を受け継いで、現世におくられた未発達の神といえる。しかし、どのように努力しようとも、罪から逃れられない我々は、ひとりでは決して花を咲かせ、豊かな実りを得ることは出来ない。 |
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不はふっくらとした花のがくをえがいたもので、不が否定的な意味に用いられるようになったことから、一字を加えて、もともとの意味として用いるようにした。 意味は「大きい」のように豊かなさまをあらわす。この先には、豊かな実りが予想される。 不と比べると下に「一」が増えている。 その点は、地上にいる我々はクリアしている。しかし、それだけではだめなのである。 我々は地上の生活の中で、誤った選択をしてしまい、それは罪となって神と断絶し、そのままでは、天に帰ることができない。 そこで、天父の形であり、唯一の罪の犠牲として、地に下ってこられたイエス・キリスト「一」の存在、そして働きこそが、我々が天に帰る道である。 よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。(ヨハネ12:24) イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。(ヨハネ14:6) 贖罪とその教えや模範に従い生きようとすることで、この現世を価値あるものにしてくれ、天において永遠の生命という豊かな実りを得ることが出来るのである。 |
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